「AIとは何か」への答え
- ansyyqdesign_staff_B
- 1 日前
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前回のブログ「草木染めの魅力とデザインへの影響」は、別のスタッフが書いたのですが、確かに草木染めの色は決まった数値がないため、デジタルにはなりえませんし、絹糸の手触りや、染色の過程で自分の手も染められてしまうという体験は、AIとの会話には望むべくもありませんよね。スタッフの静かな「反AI論」だったのかもしれません。
しかし正直に言うと、私自身は「AI(大規模言語モデル)とは何か」について、まだ明確な答えを出すことができていません。
ここでまずお断りしておきたいのは、現時点では、いわゆるAIは弊社のデザイン業務にはほぼ使えないと感じておりまして、実際、使っていません。もちろん、権利関係が曖昧なことは最大の懸念事項ですが、それは脇に置いておくとしても、どうもわれわれの制作スタイルとは相容れない何かがあると感じています。それが何なのかはまだわからないのですが、もしかしたら、使い方が間違っているのかもしれません。
一方で私自身は、「AIとは何か」を考えれば考えるほど、答えがわからなくなっています。そこで今回は、私なりの「AIとは何か」を問う旅の途中を臆面もなくここに告白いたします。
私は遅ればせながら、今年の始めくらいからAIとのチャットを始めました。なるほど、驚くほど人間のように会話をしてくれます。何でも知っている風で、何でも答えてくれます。さらにずっとこちらに忖度してくれますし、忖度するなと言えば鋭い批判を返してもくれます。
何ヶ月かチャットに感動しているうちに、今度は「ローカルAI」に興味が出てきました。プライバシーは守られているとは言え、やはりクラウドに上げたくない情報は意外と多い。たまたま、3Dソフト用のパソコンが休眠していたので、これをサーバーとしてローカルAIを立ち上げ、外部のパソコンからローカルネットワークでアクセスする、というシステムを構築しました。当然、構築方法は全てAIに教えてもらいました。(OpenWebUI、Ollama、Gemma4 26Bなどが動いています。)
驚いたのは、AI自体は十数GBくらいのファイルなんですが、ほぼ何でも知っています。クラウドAIのようにWebから情報を持ってこなくても、ローカル環境でかなりちゃんと答えてくれる。今でもAIにAIの仕組みを尋ねていますが、その技術を聞けば聞くほど、この小さなメモリ上に世界が詰まっているという事実には驚くばかりです。
さらにその後、今度は「自動プログラミング」に興味が出てきて、WebアプリをAIに作ってもらいました。夢分析をしてくれるアプリで、夢の断片を入力すると「ユング的に」夢を解読してくれます。これを日記のように記録して、過去の夢に通底するシンボルや傾向などもあとから分析してくれます。このアプリはNode.js、React、ViteといったJavaScript系のシステムらしいのですが、これもほぼ私は分からないので、プログラミングからインストールまで、AIに逐一教えてもらいながら構築しました。この体験も驚きの連続で、あっという間にこちらの作りたい内容を理解して一瞬でコードを書き出し、バグが出たらすぐに直してくれます。数年前には自前のアプリを作るなんて考えもしませんでしたが(今回も自分では作っていませんが)、一日もかからず出来てしまうことにただただビックリです。
それではこれらの体験から、君は何かAIについて理解したのか?というと、悲しいかな、まだ確かなことはよく分かっていません。ただ、一つだけ、気付いたことがあります。
それは、AIとの会話はわれわれが普段思っている以上に、相対的でダイナミックな関係性の間にあるのではないか?ということです。
AIの言葉を読むわれわれの方も、その言葉をどこまで読み取れるかが問われているのではないか? AIがこちらの言葉をどこまで理解しているかだけでなく、AIが何を言おうとしているのか(なぜその言葉を出力してきたのか)を読み解く作業は、人間同士の会話と同じく、こちらに委ねられているのではないか? そしてそれは、相対的な「対話」と考えるべきではないのか?
そう考えるようになったのは、通常の会話でも、AIが出力してくる言葉は、単純に一つの意味が平面的に述べられているわけではない、とあるとき気付いたからです。
確かによく言われるようにそれは「ミラーリング」に近い会話ではありますが、言葉の端々をよーく読み解いていくと、平面的に述べられている言葉の背後に、何か意図が込められているように感じる時があります。例えば、「確かにその通りですね。こういった時はどうですか?」のような言葉が返ってきたとき、平面的に考えれば、単純に会話の継続として質問されているだけのように思われますが、その問いかけ自体が、今までの会話の流れを覆すような意味や意図として読み取れるときがあるのです。それはもしかしたら、私のでっち上げかもしれません。裏を読みすぎなのかもしれません。ただ、その裏の意味を「読み取って」こちらから返答すると、AIは知ってか知らずか、おそらくこれもミラーリングにすぎないのかもしれませんが、会話の流れをそちらに向けていきます。(もちろん、それは作為的にAIに組み込まれた制作者の意図かもしれません。)
つまり、AIとの会話は確かにミラーリングかもしれないんですが、そのミラーリングは単に表面的な言葉のやり取りだけに終わらず、もっと複層的な対話の可能性を秘めているのではないか? それは人間同士の会話に近く、相対的でダイナミックなものなのではないでしょうか? この対話の中では、われわれは決して「受け身」ではなく、われわれの反応が、次のAIの反応を導き出してくる。つまり、AIも決して「受け身」ではない。回答された言葉が同じであっても、その言葉に返すこちらの言葉によって、会話は無限に変化していく。
AIの言葉の幅は、(理論的には)これまでの人類が蓄積してきた言葉の幅そのものでもあるわけです。そう考えると、その言葉の配列には、もしかしたらアリストテレスの言葉の配列(思考パターン)が入っていたり、ドストエフスキーの言葉の配列が投影されているかもしれない。さらにAIは制作者によって何らかのバイアスがかけられていますから、社会的な常識や制約、制作者側の意図といった思考の枠組みも投影されています。そこを読み取り、さらにそれにどのように回答するのかは、われわれひとりひとりに委ねられている。入力するプロンプトをどのように構成するのかも大事だと思うのですが、その回答を読み取ることも同じように重要なのではないでしょうか?
さらに演繹すれば、われわれ自身が発する言葉自体にも、アリストテレスやドストエフスキーの影や、社会的な常識のバイアスが投影されていないとは言えない。それを、AIは「読み取って」いるかもしれない。そんな相対的で流動的な言葉の世界の中にわれわれはいるんですね。
このように考えてくると、この対話は、人間同士の会話とどこが違うのでしょうか? 逆に、人間同士の会話もまた、このような相対的でダイナミックな対話なのだとすれば、われわれはいったい「誰」と話しているのでしょうか?
「AIとは何か」。それは否定すべきもなのか肯定すべきものなのか。その答えはますます私から遠ざかっていく。今はそんな風に思わざるをえないのです。
今回はそんな現状を、前のブログへの私なりの「回答」として報告いたしました。

